2007.04.08 Sunday
増補 花押を読む (平凡社)
さりとて、どのようにしたら見栄えのよいサインを作れるか、という知識もなく、日々なんとなく物足りなくすごしていた。
一方、日本には昔から花押と呼ばれる、一種のサインがあった。現在でも閣僚は閣議の書類には花押をするとか。日本はハンコ文化と呼ばれているが、どっこい花押という立派なサインの文化があったのであり、今でもほそぼそと続いているのである。
この花押というものが、なんというか、筆を使わなくなった我々から見ると、実に堂々としており、しかも美しく感じるものが多い。
この本は、ひょっとしたきっかけから花押を片手間に研究することになった佐藤先生の労作である(税込み1260円)。片手間とはいっても、著者は日本の中世歴史に関する専門家であって、例えば古文書などを判読する技術には非常に長けておられる。草書に関する知識も非常に深く、多くの場合、姓名の一部、特に草書体の一部をとって作成された花押の研究者としてはこれ以上はない人だろう。
古今の有名人の花押が多数紹介されている上、そうした花押のもととなった文字に関する解釈が載せられている。中には「ホンマかいな」という位、花押の見た目のその来歴とがかけ離れているように見えるものもあるが、悲しいかなこちらは花押に関する知識も、書に関する知識も、歴史に関する知識もないので、ただ素直に受け入れるだけである。花押の世界は思いのほか深い。
我々の仕事は、マークにも関連する。したがって、花押は我々の仕事にも関連しないというわけではない。また、日本人が文字からどのようにしてマークを生成してきたか、という点でも充分に花押は我々の興味の対象にできるものだと思う。
しかし、そこから離れて、純粋に美的関心から花押を見るのも面白い。なんというか、えも言われぬ曲線が悩ましい花押、何の文字からできているのかさっぱりわからないが、妙に躍動感のある花押、最初に見たときは結構面白いと思ったのに、他にも似たようなものが多数あることがわかってがっかりする花押、斬新にもローマ字から作られた花押、など、なんとなく創作欲を刺激するのである。
というわけで、現在のところ、私は、机の紙にわけの分からない花押もどきを多数書いてはシュレッダーに入れる、という生活をしているのである。