2008.10.27 Monday
TOEICを受験してみました
10月26日(日)はビルで消毒薬の散布があったため、事務所では仕事ができないということが分かっていた。ちょうど、同じ日にTOEICの試験があるということを知ったので、試しに受けてみることにした。英語の試験勉強というのは特にしていないのだが、申込 (9/11:ナイン・イレブン!)から試験日まではかなり期間があったので、当日までには十分勉強できる筈、と思っていたのである。
しかし、結局は英語の勉強等は少しも出来る筈はなく、当日を迎えてしまうことになった。せっかくの休みではあるが、この手の試験では若い女性も多いと聞くし、たまには気分だけでも若返ってみるのもよいかと思って出かけてみた。もちろんそれだけが理由という訳ではない。最近はぬるま湯にひたっているような生活が多い。試験という緊張した場面を経験すれば、多少は気分も引き締まるのではないか、もしかしたらこの年でもまだ、試験を経験すれば脳みそが活性化するのではないか、とも思ったのである。
会場に行ってみて驚いたのだが、思いのほか男性が多い。 TOEICで高得点を取っていれば就職に有利だと言われていることも理由の一つだろうが、意外ではある。比較的年配の男性もちらほらとみかけられ、何となく心が安らいだ。あの人たちはどういう立場でTOEICを受けているのだろうか?
私の場合は、緊張感を取り戻したいという動機が一つあるが、現在の自分の英語力を、TOEICという、若い人と共通した尺度で図ってみたいという動機もある。人を採用しようとすると、かなりの確率でTOEICの点数を書いてくる人がいる。あいにくとその点数を見ても、それがどの程度の実力を意味しているのか、ピンと来ないのである。複数の人の点数を互いに比べることはできるが、実際には各応募者がどの程度の実力に相当するのかはそれだけでは分からない。「930点、それはたいしたものですね」とか「900点なければ苦しいでしょう」とか、よくいうのだが、自分の点数が分からない現状では、人を採用するときにもあまり目安にできない。自分で受けてみて、自分の点数を基準に人の実力を判断しようという、しごく実際的な考えである。
ただ、試験は付記弁理士試験以来である。しかもTOEICは全編これマークシート方式という、実に非人間的なものである。したがって、試験の内容以前に、方式的な問題で門前払いにならないとも限らない。これが一つの心配事であった。年配の方のために注釈をつけておくと、自分の名前も、漢字、カタカナ、ローマ字で記入した上に、ローマ字をマークシートでマークする必要があるのである。この記入のしかたが結構複雑である。自分の名前のローマ字標記の各文字について、ローマ字26文字分が並べられたアレイをスキャンし、該当文字の部分にマークしなければならない。この作業は実に根気のいる作業である。私は、試験の10分間位に部屋に入ってこの作業をしたが、下手をするとそれでは時間が足りないかもしれない。いくら機械にとって都合がよいとはいえ、やはり我々のようにマークシートに慣れていない人間についても多少は配慮があってもよいのではないか、などと試験会場では思っていた。とはいえ、そんな不満を言っていてもしょうがない。TOEICを受けようとする年配の人は,まずこのへんから予習されることをお勧めする。
どの程度の点数がとれたかはお楽しみである。11月25日頃には結果が届くとか。ちなみに、我が息子は890点だそうである。あの息子が890点とるのなら、私がそれ以上とれない筈がない。というか、取らなければならない。11月25日頃に、敗北宣言が出るか、勝利宣言が出るか、乞うご期待。
感想を一つ。たった半日とはいえども、やはり、集中力がよみがえったようでまことに喜ばしい。ことに、前半のリスニングでは1回しか問題文が読まれないこともあり、非常に緊張感を持って作業することができた。右耳に難聴を抱えており、音響モデルと特徴量抽出とに難点を持つ身からしてみると、リスニングというのは結構大変である。しかし今回は、緊張しながら聞いていると、全問について全て聞き取れた(ような)感じがするという、意外な満足感が得られた。とはいっても、選択肢のどれを選ぼうか、というころにはその内容を忘れてしまっていることも多いのだが。
TOEICを若い人以外が受けてはならない、という法律はない。人生に倦んで来た人に、試験というのは一つのアクセントというか、香辛料というか、人生の味付けを少し変えてくれるように思う。私もこれから毎年一度くらいずつはTOEICを受けてみようかと思う。
しかし、結局は英語の勉強等は少しも出来る筈はなく、当日を迎えてしまうことになった。せっかくの休みではあるが、この手の試験では若い女性も多いと聞くし、たまには気分だけでも若返ってみるのもよいかと思って出かけてみた。もちろんそれだけが理由という訳ではない。最近はぬるま湯にひたっているような生活が多い。試験という緊張した場面を経験すれば、多少は気分も引き締まるのではないか、もしかしたらこの年でもまだ、試験を経験すれば脳みそが活性化するのではないか、とも思ったのである。
会場に行ってみて驚いたのだが、思いのほか男性が多い。 TOEICで高得点を取っていれば就職に有利だと言われていることも理由の一つだろうが、意外ではある。比較的年配の男性もちらほらとみかけられ、何となく心が安らいだ。あの人たちはどういう立場でTOEICを受けているのだろうか?
私の場合は、緊張感を取り戻したいという動機が一つあるが、現在の自分の英語力を、TOEICという、若い人と共通した尺度で図ってみたいという動機もある。人を採用しようとすると、かなりの確率でTOEICの点数を書いてくる人がいる。あいにくとその点数を見ても、それがどの程度の実力を意味しているのか、ピンと来ないのである。複数の人の点数を互いに比べることはできるが、実際には各応募者がどの程度の実力に相当するのかはそれだけでは分からない。「930点、それはたいしたものですね」とか「900点なければ苦しいでしょう」とか、よくいうのだが、自分の点数が分からない現状では、人を採用するときにもあまり目安にできない。自分で受けてみて、自分の点数を基準に人の実力を判断しようという、しごく実際的な考えである。
ただ、試験は付記弁理士試験以来である。しかもTOEICは全編これマークシート方式という、実に非人間的なものである。したがって、試験の内容以前に、方式的な問題で門前払いにならないとも限らない。これが一つの心配事であった。年配の方のために注釈をつけておくと、自分の名前も、漢字、カタカナ、ローマ字で記入した上に、ローマ字をマークシートでマークする必要があるのである。この記入のしかたが結構複雑である。自分の名前のローマ字標記の各文字について、ローマ字26文字分が並べられたアレイをスキャンし、該当文字の部分にマークしなければならない。この作業は実に根気のいる作業である。私は、試験の10分間位に部屋に入ってこの作業をしたが、下手をするとそれでは時間が足りないかもしれない。いくら機械にとって都合がよいとはいえ、やはり我々のようにマークシートに慣れていない人間についても多少は配慮があってもよいのではないか、などと試験会場では思っていた。とはいえ、そんな不満を言っていてもしょうがない。TOEICを受けようとする年配の人は,まずこのへんから予習されることをお勧めする。
どの程度の点数がとれたかはお楽しみである。11月25日頃には結果が届くとか。ちなみに、我が息子は890点だそうである。あの息子が890点とるのなら、私がそれ以上とれない筈がない。というか、取らなければならない。11月25日頃に、敗北宣言が出るか、勝利宣言が出るか、乞うご期待。
感想を一つ。たった半日とはいえども、やはり、集中力がよみがえったようでまことに喜ばしい。ことに、前半のリスニングでは1回しか問題文が読まれないこともあり、非常に緊張感を持って作業することができた。右耳に難聴を抱えており、音響モデルと特徴量抽出とに難点を持つ身からしてみると、リスニングというのは結構大変である。しかし今回は、緊張しながら聞いていると、全問について全て聞き取れた(ような)感じがするという、意外な満足感が得られた。とはいっても、選択肢のどれを選ぼうか、というころにはその内容を忘れてしまっていることも多いのだが。
TOEICを若い人以外が受けてはならない、という法律はない。人生に倦んで来た人に、試験というのは一つのアクセントというか、香辛料というか、人生の味付けを少し変えてくれるように思う。私もこれから毎年一度くらいずつはTOEICを受けてみようかと思う。